【エホバの証人】 霊的パラダイスの中の懲りない面々 - 無知な親の振るう鞭。

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ボクが子供時代を過ごした会衆も厳しかったです。

集会中に子供が後ろを向いていたり、
しゃべったり寝ていたりすると、
案内係から、

「お宅のお子さんが他の人の信仰の邪魔をしています」

というカードが回ってきます。

すると、
親は強制的に懲らしめ室に行かざるを得ません。

しばらくすると、
防音の甘い懲らしめ室から、
悲鳴が聞こえてきます。

だから、
たとえ「そんなにムチ打つのはおかしい」と思っている親がいたとしても、
その場で凝らしめを与えないことは兄弟姉妹の目も気になってできないわけです。

民衆のご機嫌を取るためにイエスを引き渡したピラトのようにね。



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協会だって、
ひどいムチが行われていることは把握していたはずだし、
巡回監督も積極的に叩け叩けと言っていたあの時代。


ぜひとも、
はっきりとした謝罪の言葉を
機関紙に掲載していただきたいものです。


今さら?


えぇ、手遅れですよ。

でも、
今それが載ることでどれだけ癒される人がいるか。

成員に謙遜さを薦めながら自分たちには謙遜さのカケラもない上層部の皆様方には想像もできないでしょうね。


友人Sの家に、
40近い2世の姉妹が遊びにきました。


Sの母姉妹が、
Sがした失敗に優しい言葉をかけたところ、
その2世の姉妹は号泣しながら、

「私はこういうときそんな風に優しく言われたことなんてなかった!」

と言っていたそうです。



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自分の少し上の世代には、
こういった懲らしめの話は腐るほどあって、
身の回りに、
いまだにココロの傷を癒せないでいる2世が多くいるからです。



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そして、
現役として、
こういったムチの実体を絶対に忘れてはいけないし、
外部の反対者の声だといって目をそむけてはいけないことを、
思いにとめたいと思います。

「ご飯を抜かれる」

先に書いておきますが、一時期、俺の環境下では、ムチの種類を選ぶというものがありました。
あまりにも叩くことが続いて、からだに痕が残るのを避けたのでしょうけども、それが選択というものに変わっただけです。

ご飯を抜かれるというのは、妹を含め、全員がされたものです。
文字通り、ご飯を食べさせてもらえません。
ええ、単純に食べることができないんです。

痛くはないですから、俺は馬鹿だったので、最初これを選択することが多かった。
しかし、これは痛みよりも実際きついんですよ。
子供ならなお更でしょうね。

朝、ご飯抜きで学校に行く。
成長という意味で、子供はごはんが必要です。
おなかがすいて、勉強が手につかなくなります。

給食まで我慢して、給食をしっかりたべます。
これで、とりあえずはなんとかなるでしょう。

しかし、夕食はありません。
親にこう言われる子供の心境をお考えください。

「霊的食物をとりなさい。」

おなかの虫を鳴らしながら、ただ、出版物を読み、ものみや書籍研究の予習をすることに終始します。
台所から、どんな食べ物の匂いがしても、それは食べられません。
涙を流しながら、聖書を読み、みんながご飯を食べていても、目の前で予習するんですよ。

子供です。訴えます。

「ご飯が食べたい」

このとき、どういわれるか知ってますか?

「人間、水分を取れば、1週間ぐらい食べなくても死なない。」

そうです、死ななければいいみたいですね(怒)

最長3日あったんですけども、給食があるときはまだいいほうです。
親にも言われましたしね。

「給食食べれるんだから、本当の懲らしめになってない」



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これの苦しみから脱するために、子供ながらに対抗した知恵があります。
給食のパンを食べない子にもらったり、休んだやつのパンをもらって、蓄えておくんです。
家には持ち帰れないから、近くの空き家に隠しておいたりして、それを食べるんです。

金曜日は、ちょっと恥ずかしいけど・・・

配膳室に集まったパンの残りをランドセルに詰めに行きます。
そうすれば20個ぐらいは集まる。カビが生えても、そこだけちぎれば食べれるもんね(笑)
俺も、妹も同時の場合は、この備蓄で乗り切りました。

だから、小学生のころは「ガリガリ」だったんですよ。
あばらが浮いてたもん。

それでもね、親に喜ばれたいと脳が要求するんです。
これが悲しい性ですね。



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「ばうちんが食べないから、食費が少し浮いたから、寄付箱に入れられたわ。エホバは与えてくださるのよ。」



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ある日、風呂桶に水が張られます。
それも結構多めに入るんです。
そうして、聖書とムチの道具が、脱衣場に持ち込まれます。

「ばうちん!聖句を開きなさい・・・・」などと、お決まりのモノがあります。
子供心に、ムチ後の冷却がすぐできるようにだと思いました。
お決まりの儀式が終わり、お尻を出すように言われます。

そして、風呂桶のふちを持ちます。
叩かれることを覚悟してますよね、もちろん、2.3発くるわけです。
しかし、このときは違いました。

いきなり、首をつかみ・・・

ジャボン!

風呂桶に顔が沈みます。
俺は何が起こったのか理解できません。
しかし、すぐ苦しくなるので・・・もがきます。夢中でもがくんです。

時間も、何もわかりません。
とにかくなんかわからないうちに一度顔が桶から出ます。

水をかなり飲んでしまいますから、かなりの

「ゴホッ」という咳が出ますし、空気を吸おうとする意識だけが自分を優先します。

このときに、俺が何を思うか・・・

親の顔を見ます。何かわからないとりつかれた様な鬼の顔を。
そして、泣き叫びます。

「おかあさん、ごめんなさい。許してください。助けてください・・・・」

何が悪いのか、どうしたらいいのかなんてわかっちゃいません。
とにかく今までと違う虐待に恐怖だけで、懇願するんですよ。
そう、生きていたいから。

何度もこういう経験をしたんですが、一つだけ覚えてる親の言葉かあります。

「イエスの苦しみはこんなものじゃなかった。」

おい、俺はキリストと同じ位なのか?いったい、どれだけ苦しめばいいんだよ。
ムチが酷かった世代から聞くことがありますが、ムチの痛みを聖書の登場人物の苦しみと比較するというのがあります。
何を基準にされてるのかわからないんですよ。

そして、息が整うかどうかわからない状態で再度沈められます。

今度は、体をそのときの持ちうる力でジタバタさせて、空気を求めます。
しかし、小学生が大人にかなう力を持てない。
それに、もう一つ力を出せないことがあります。

仮に、なんとかなったとしても・・・さらに酷いことにならないかと思うから、抵抗が中途半端なんです。
できることは懇願。
「エホバごめんなさい、おかあさんごめんなさい・・・許してください」
この懇願がすべてなんです。これで逃げるしか許されないのが・・・あのときの俺たちだったと思う。

人を精神的に追い込み、絶対に逆らわせないためには、この懇願でやめては効果が薄いことは事実です。
最後に何度かギリギリでトドメをしておくことが必要です。
これを当時の親が知っていたかどうかは知りませんが・・・

さらに何か言われながら、顔を沈めます。
覚えてる限りなんですが、このようなことだったと思います。

「わかってるの?返事は?ばうちんからサタンを追い出してるの!」

返事は?って言われてこんな状態で答えられないでしょ。

そして、この行為が何度か続きます。
水の中で俺が考えることはこんな感じでした。

「くそエホバ!死んでもいいや・・・・サタンでもなんでもいいから助けてよ・・・・」

エホバなんかに祈りや助けを求めちゃいません。
変な言い方ですが、サタンに祈っていたとでも言うのが正解なのかもしれません。
口では、エホバごめんなさいですけどねw

体中から力が抜けて、あきらめも出たころ・・・
ついにこの虐待が終わります。
この時、どんな状態かわかります?

「ガガガガガガガガッ!ガハッ!ガガガガッガガガッ!」

これ、呼吸音です。
工事現場の音だと思って下さるのが一番近いかな。
人間が酸素をほしがる究極の状態ってこんな感じです。

そして、何か言われてるんですが、それは聞こえず、風呂場で放置されます。
1時間ぐらいは動けませんよ。
ただ、この異常な呼吸音が静まるのを待ち、体に酸素が行き渡るのを待つだけです。

そして、フラフラで起き上がり、脱衣場の鏡を見ます。
唇にチアノーゼ出てるんです。(真っ青ですからね)

これを成人後に知り合いのお医者さんに聞いたら、死ぬ手前だよだってさ。
なぜ生きてるのかわかんないけども、俺は生きてる。
手加減のさじ加減がよかったんでしょうかね?

そんな問題じゃねぇだろ。

心の状態ですが、風呂に入るのが怖くなります。
そして、風呂で落ち着くという事ができないので、風呂に入ると誰かいないか緊張しっぱなしです。
この状態は20歳ぐらいまで続きました。

今でも、風呂を本当に楽しむということはできてないのかもしれません。
温泉大好きですが、湯船に浸かっても緊張することも時々。
風呂に本や電話を持ち込むのは・・・怖いというのもあるんです。



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これ、死んでないから問題になってないんです。
時効的であったり、証拠が残ってない部分があるから、問題になってないんです。
訴えたところで、知らぬ存ぜぬ、記憶がない、うそをついてると片付けられるでしょう。

でもね・・・

死と隣り合わせの行為を、聖書だのなんだのであれこれ言われるのはもうたくさん。

こういうのがムチでないという人がいれば・・・
俺はちゃんと聞いてます。親からね。

「懲らしめのムチ」

だとね。

こういうの、今でもやっててみろ、発覚してみろ・・・
顔出ししようが、親との修復がかなわないだろうが、絶対に追い詰めるよ。
破防法適用宗教団体にまでしたってかまわない覚悟で望んでやる。

頼む、過去の過ちを認めて、体罰完全禁止令出してくれ。
あんたらが、何を信仰しようとこれだけはやってくれ。
それが、俺の願いである。

最後に親に言われたこのムチ後の捨てせりふ・・・

「死ななかったのは、エホバのご意思」

何をどうやったらこう言えるんだ?何を学べばこうなるんだ?



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