自己責任論が通用しないヨーロッパ

あるとき、地下鉄でこんな場面に出くわした。


ドアのそばに立って新聞を読んでいた中年の男性が、突然、前に座っていた若者に対し、かなり激しい口調で「お前はさっきから10分以上も俺の新聞を読んでいる。いい加減にしたどうだ」と怒鳴りだした。


あまりの剣幕に乗客も若者も驚き、若者は「新聞ぐらい読んだっていいじゃないか」と反論した。ますます怒った男性は若者をなじり始めたので、この大人げない態度に乗客からは嘲笑が漏れ始めた。


若者が読んでいたのは求人欄だったらしく、若者は「おれは失業してるんだ。だから、求人欄に目がいったんだ。」という趣旨のことを言った。


これに、男性が「失業しているのは、お前が悪いからだ。おれと何の関係がある。」と言い放った瞬間、車内の雰囲気は一変し、乗客の態度は嘲笑から怒りに変わり、あちこちから「そりゃひどい」「むちゃくちゃ言うな」という声が飛んだ。


これに力を得た若者は男性の新聞を奪い取り、びりびりに裂いて男性に投げつけたため、男性は若者の腕をつかみ、「これから警察に行く。みなさんは証人だ。一緒に来てくれ」と言い出した。


あきれ果てた乗客から再び嘲笑が漏れたとき、二人は突然、乗客に向かって深々と頭を下げ、「楽しんでいただけましたか」と挨拶。車内は爆笑に包まれた。つまり、パリの地下鉄でよく見る寸劇だったわけだが、あまりの迫真性に全員だまされたのだ。


(『知っていそうで知らないフランス』平凡社新書



安達功さんがフランスの地下鉄で体験した出来事。


ようは、オッサンの読んでる新聞の背中に求人欄があって、向かいの若者がそれを盗み見てるのに腹を立てて喧嘩にハッテンする・・・というお芝居だったんだね。こんな寸劇がよくあるだなんて、面白い国だ。


喧嘩が起きたとき、フランス人は無職の若者を支持したけど、平均的日本人ならまずオッサンの言い分を『正論だ』と支持するに違いない。団塊の世代、保守派の人間、ネット右翼なんかは涙を流してオッサンを賛美するだろう。


しかしそれは本当に正論だろうか?職が無いのは人が悪いのか国家(社会)が悪いのか?日本人は人が悪いと言い、フランス人は国が悪いと言う。


これは大きな分かれ道だ。つまり、日本人は「国のために人がある」と思いフランス人は「人のために国がある」と思っている。


これは必ずしもそう言い切れるものじゃない。逆に思っている日本人もフランス人もいるだろう。
けれど風土・思想基盤は、日本とフランスでは明らかに異なっている。


企業のために人があるのか、人のために企業があるのか?
仕事のために人があるのか、人のために仕事があるのか?
システムのために人があるのか、人のためにシステがあるのか?


この記事を読んだ人は、ぜひ考えてみてよ。