脳みそ 常に震わせて 荒々と運命に背く もういっそ 俺に生まれたなら 君をぶっ生き返す

大学を休学して、中島義道さんの本や社会学・哲学・思想の本を読んで、俺はマイノリティ(少数派)として生きていくことを決めた。


俺は高校3年間、いかに社会に埋没するか、いかにヒッソリと生きていくか、いかに変な人間に見えないかに全神経を集中していたけれど、そういう生き方はもう止めた。


俺が社会に媚びたところで、他人のご機嫌をうかがったところで、それが報われたことは今までないし、これからも社会と他人は俺に厳しいままだろう。だったら、これから俺は俺らしく生きてやる。


俺らしく生きるっていえば聞こえは良いが、それってつまり社会や世間と殴り合いながら日々を生きていくってことで、Jポップやチャラい雑誌で爽やか言われているような「自分らしく行こう☆」「君は君で良いんだよ〜♪」とかいう能天気なモノとは全然違う。※バンプオブチキンは除く


生き方を変えるっていうのは毎日が試行錯誤の連続になる。「あぁ、あの場面ではこうするべきだった」「あそこはキレる場面だったよなぁ」「あの野郎ブッ殺してやる」「そこ弱気でいっちゃダメだろ」 自己嫌悪と反省の連続。


でも、高校時代よりははるかに晴れやかな精神であるし、高校時代と比べて全く疲れない。俺は20歳にして大発見をした。ヒッソリ隠居するより戦った方が疲れないんだ。俺のような、社会に埋没できない人間にとっては。




創作活動と「晒されたもの負け」の恐怖。- たまごまごごはん
腐女子が世間や他人に笑われて傷ついて悲しいよ〜っというお話。



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上の画像を見たとき、昔の自分を思い出して泣いてしまった。外では「見ないで構わないで」とうずくまり、家の中で心を凍らせながら泣くっていうのは俺がさんざん体験してきたことだ。


彼女のたちの気持ちは痛いほど分かるけど、それゆえに「まだ絶望が足りない」と思ってしまう。彼女にも、たまごまごごはんの人も。


「社会は俺らをいじめるお。いじめられるのは仕方ないお。俺らが変なんだもの。どうしようもないお。誰が悪いわけでもないお。社会が悪いんだお。だから社会が変わればいいお。変わってくれお( ^ω^)おねがい☆」


そんな軟弱な姿勢じゃ何も変わらないって。そういう穏便なスタンスで、社会や世間に理解を求める、存在を許してもらおうとする奴ってのはけっきょく、まだまだ絶望が足りてないし、まだまだ幸せなんだよ。


絶望が行き着いちゃって、逆に社会・世間と戦おうとする人は、会う人・会う世間・会う世界の首根っこをつかんで、「俺はこういう人間だ!変だろ?でも俺ここに居てもいいよな!?」って恫喝するんだ。


もちろん一方的な恫喝じゃなくて、それはあっち側に攻撃・非難されたから反撃として恫喝してるまでで、しかも相手の首根ッコつかんでる間に自分の手ぇ噛まれたり、腹にパンチ入れられたり、金的にキックされたりと、こちらもかなりの被害を受ける。


でもその方が良いんだ。奴らの攻撃を受ける方が、奴らに隠れて・媚びて生きるよりよっぽど楽。


これが俺なりに身に付けたサバイバル術。日本という社会で生きていくための知恵。いつまでこんなことを続けられるか分からないし、いつこのスタンスを変更するか分からないけれど、今はこんな感じで生きる。生きていく。