人間を幸福にしない日本というシステム - カルフ☆ヴァン☆ウォルフレン

中島義道さんの本5冊と、この『人間を幸福にしない日本というシステム』という本を読んだ。中島さんの本はスラスラ読めたのに、この本はとにかく読みにくく、Fランク大学生の俺は脳みそに青汁みたいな汗をかきつつヒーヒー言いながら呼んだ。横文字が多いし、観念・概念的な言葉が多いんでどうもスンナリ頭に入って来なかった。くやしい!


でも分からないなりにもこの本を呼んでいろいろ分かったことがある。一つは日本と他先進国の『社会人』についての定義だ。日本で社会人と言えば、月曜日から金曜日まで、会社に命令されれば土曜日曜でも仕事に精を出す人のことだ。結婚して妻や子どものために残業代を稼ぎ、朝晩は老若男女が淫らに肌を寄せ合う電車に乗ってひたすらストレスに耐えることになる。彼らは市民運動、宗教活動、政治運動に参加するエネルギーも時間も与えられない。


他先進国は違う。社会人とは(そもそもそんな言葉が無い)市民運動、宗教活動、政治運動に参加するものだ。自分の家族と地域に責任を持ち、自分の会社や政府に不満があれば容赦なくデモを行う。自分の周りの環境を良くするために積極的に働きかけなければならないんだ。そして自分の趣味も大切にする。そのために仕事は最小限かつ効率よく行われなければならない。いかに楽して仕事をするかいつも探っている。これはこのブログの左側にあるリンク『ニートの海外就職日記』を見てもらえれば分かる。


なぜ日本の労働者だけがこのような異様な労働ロボットになっているのか?それは簡単に行ってしまえば、官僚とか政府とか企業にコントロールされているから。そしてそのコントロールは何も社会人になってから始まるわけじゃない。幼稚園保育園、小学校、中学校、高校もそのコントロールに加担しているのだよ。日本人は生まれてから20年近く軍隊式の教育を受けるのだ。だから権力者に従順になり、上にたてつくことは悪とされる。自己主張は「みっともない」ことになる。これは『日本人をやめる方法(杉本良夫)』にも書いてあった。背の順、班、体育祭のマスゲームなどは日本独自の教育だ。


これは中島義道さんの『対話のない社会』や『私の嫌いな10の人びと』にも同じようなことが書いてある。とにかく生まれてこの方「対立・喧嘩はいけないこと」と教えられた日本人は不満があってもなかなか言わない。それは権力者にとってはとても扱いやすい家畜だ。自分の年金がパーになったというのにデモ一つ起こさない日本人は『民度が高い』のかそれとも『赤ちゃん』なのか。


とくに日本人のデモに対する嫌悪感は異常で、2ちゃんねるだけに限らずあらゆるサイトで、右も左も関係なくデモ行進は叩かれる。酷いものはデモ参加者の写真を撮って晒しあげ、ネチネチとそのファッションセンスを貶す奴までいる。とにかく自己主張は「悪」なんだ。そして「努力が足りない」「デモやる前にもっとやることがあるだろ」などの奴隷コメントで埋められる。とにかく一般人がお上・権力者側・経営者側にとても好意的なのだ。この好意も小中高で叩き込まれた、国家上層部にとって都合のいい考え方だ。


『人間を幸福にしない日本というシステム』を中島さんの本と同時期に読んで良かった。中島さんは一貫して日本人の『物言わぬ』国民性を批判しているが、その後にこの本を読むと、なるほど何故日本人が物を言わなくなったのかがよく分かる。確かに古代より受け継がれてきた国民性の影響もあるが、それ以上に国が仕向けた感が大きい。日本人はもっと官僚・マスコミを批判しなければならない。そしてデモに寛容になり、経営者より労働者の味方をしなければ。生活保護受給者を叩くのではなく、自分の給料をもっと上げろと叫ぶことこそ大切なんだ。


しかしとても10年以上前に書かれた本だとは思えない。この本は現代でも通用する。ということは日本の社会はますます不況になったこと以外大して進歩してないのだ。そして国民はますます不幸になっている。俺らの世代でこの不幸は止められるのか?止められるさ。止めてみたい。